こんにちは。Ryuです。今回は「雨の日には雨を聴く 日日是好日の生き方」というタイトルで書きます。
森下典子『日日是好日~お茶が教えてくれた15の幸せ~』の第11章を読んで感じたこと、学んだことをまとめました。
僕が最も感銘を受けた章であり、この感動を伝えたいがために『日日是好日~お茶が教えてくれた15の幸せ~』の各章からの学びの連載を始めたといっても過言ではありません。そのくらい感銘を受け、共感し、お茶という生き方に憧れました。
読めば、自分の生き方、生き様を振り返り、幸せを感じるヒントをつかめるかもしれません。
では、いきます。
15年目のターニングポイント 雨の日
この第十三章は森下さんにとっての忘れられない日のことが綴られています。それは15年目の6月の雨の日のこと。詳細は本書を是非当たってほしいです。ここではかいつまんで紹介します。
滝のような雨に包まれて、見えないはずの外の景色が目に浮かんだ。
白く煙る黒い瓦屋根、濁流となっている雨樋、雨に打たれて暴れる庭木の青葉たちそれぞれの動き。
そして、音。雨の音が打楽器のアンサンブルのように聴こえてきた。雨音の森の中に入っていったよう。
ここの表現がとてもいい。僕は雨音が好きな子どもでした。雨が降ってくると、音楽を消して窓を開け、雨音を聴き入るくらいに。雨音ってとても心地よいんです♪ 雨音が好きだから、自然と雨の日も嫌いではないんです。
これ、なかなか共感してくれる人なかなかいなかったけど、SNSでそういうことを書くと共感する人がいて、とても嬉しかったのを覚えています。初期SNSのmixiでは、「雨音が好き」ってグループもありました(もちろん、入りました!)。
自由を感じる
そんな雨に包まれた中で、森下さんは「一気に何かを突き抜けた」衝撃的な体験をします。
「——————————」 突如、だだっ広い場所に、私はいた。 ここはどこだろう? 私をさえぎるものは何もなかった。
神秘的な体験———ここでいう、私をさえぎるものとは何でしょう?
それは、
間違えてはならない緊張、気にかかる仕事、しなければならない用事、
もっと頑張らなくちゃダメだの思いも人から好かれ評価されなければ無価値なのではないかという不安、弱味を見られなくないという恐怖、
そんなものであったと言います。それらが消えていき、今まで感じたことのない ❝とてつもない自由❞を感じたと言います。
どこまで遠くへ行っても、そこは、広がった自分の裾野だった。 ずーっとここにいたし、どこかに行く必要もなかった。 してはいけないことなど、何もない。 足りないものなど、何もない。 私はただ、いるということだけで、百パーセントを満たしていた
p215
読むたびに感動がこみ上げる箇所です。
僭越ながら、僕なりの言葉で表現し直すと、
私はずっと私だった。自分を探しにいく必要などない。 私はずっとここにいたし、これからもいる。 私は何をするのも自由だし、しないのも自由。私は選択できる。 してはいけないこと、しなければならないこと、というのは私自身が作った制限に過ぎない。 私は今の私で足りている。
いる 存在している being
余計な価値観や評価、つまり、頭で考えることなど、いらない、満たされるためには。
今存在していることだけで、事足りているという感覚。こういう態度。生き方。生き様。これが味わえるのであれば、人生の幸福度は非常に高まります。
これほどまでではありませんが、僕の経験で言えば、エンカウンターグループという濃密なグループ体験で自分が受け入れられたと感じた時、ゲシュタルト療法を受けていた最中で起こった昔の自分を許せた夜、がこれに近い体験だったのではないかと思います。
満たされている————今の自分でいい・・・というか、良いとは悪いとかの評価の枠そのものを取っ払ってしまった世界でした。自分の全部が抱きとめられたような、そんな温もりに満ちた経験でした。
評価の枠をなくしてしまい(=価値判断をしない)、ただ感じること、五感を開くことを通じて、自分や他人を責めたり評価に一喜一憂したりすることなく、これに近い経験をもつことができることを願ってやみません。
雨の日は雨を聴く
話を戻します。そうした体験の中、ふと床の間の掛け軸に目をやります。するとそこには、
聴雨
森下さんは何度か見たことのあったその掛け軸の文字から、この日新たな意味を見出しました。以前の自分は「文字」という記号を読んでいただけだったのだ、と気付きます。
雨の日は雨を聴きなさい。心も体も、ここにいなさい。あなたの五感を使って、今を一心に味わいなさい。そうすればわかるはずだ。自由になる道は、いつでも今ここにある
p216~217
※聴雨の語源は、禅語「聴雨寒更盡(雨を聴いて寒更尽く)」(茶席の禅語選サイトより)であり、この語の意味は森下さんが見出したものとは違います。この掛け軸の書の書き手も、こういった意味を込めたのか定かではありません。
しかし、森下さんは「聴雨」という文字と自らの体験とを重ねて、このメッセージが自らの内側からでてきたのです。
人間は、頭を使って、簡単に〈今ここ〉から、過去へも未来へも飛ぶことができます。人間がもつ素晴らしい能力です。しかし、それ故に、苦しみも味わいます。不毛な思いに逡巡することもあります。
過去を悔んだり、まだ来てもない未来を思い悩んだりことのなんと多いことか!どんなに思い悩んでも、人間は過去へタイムスリップすることもできないし、未来を先取りすることもできない。
自由になるには、満たされるためには、逆に、今ここに留まり、五感を開いて、今を一心に味わうことです。それ以外にない。
幸せは、見つけるものではなく、感じるものだ
という言葉をきいたことありますか?この心はまさに、五感を開いて今を一心に味わうことで幸せを感じられるんだよ、と説いています。
森下さんの言葉はこうです⇓
過去や未来を想う限り、安心して生きることはできない。道は一つしかない。今を味わうことだ。過去も未来もなく、ただこの一瞬に没頭できた時、人間は自分がさえぎるもののない事由の中で生きていることに気付くのだ
p217
ここまで読んでて鳥肌がたっていました!!読みながら、僕も森下さんが味わった感動をおすそ分けしてもらってました。
今ここを大切にする。僕がゲシュタルト療法の先生に口酸っぱく何度も何度も言われた言葉です。人間は過去へ戻ることも未来へ飛ぶこともできない。今ここでしか何かできない。一瞬で過ぎていく今があるだけだ、と。そして、今を捉えるのは五感の働きであり、感情を感じ取ることだけであると。
頭では納得できても、ゲシュタルト療法を受けることを通じて体得するには随分かかりました。今この森下さんの言葉に素直に感動をもって頷けるのは、ゲシュタルト療法のおかげです。
ちなみに、自由というのはいくつかありますが、ここでいう自由は、金銭的なものでも身体的なものでも時間的なものでも精神的なものでもなく、いうなれば魂の自由だと僕は思います。
日日是好日
今を思う存分味わう。森下さんは次のように端的に言う。
雨の日には、雨を聴く。雪の日は、雪を見る。夏には、厚さを、冬には、身の切れるような寒さを味わう。・・・どんな日も、その日を思う存分味わう。
本当に、こうありたいものです!!!雨降りには、雨降りの良さがある。
夏は暑さに汗を垂らしてなんぼです。そこに瑞々しいスイカや冷えた麦茶を摂るからこそ、美味いのだ!暑さの中、吹き抜ける風や団扇でそよぐ風が気持ちいい。夕暮れの涼みが嬉しい。
同じように、冬は寒くてなんぼ。もちろん、暖かい上着を羽織り、温かいものを食べるけれども、それが心地よいのは、身を切るような寒さのおかげだ。暖をとるのが格別嬉しいのは寒いからこそだ。
その中でこそ見出せる、感じられる、心地よさがある。
少し脇道にそれますが、四季を味わう意味での名言が、漫画「るろうに剣心」にある。剣心の師匠、比古清十郎の言葉です。とてもいい言葉だな、とお酒を飲まない年頃だったのに覚えています。
春は夜桜 夏には星
秋には満月 冬には雪
それで十分酒は美味い
四季の素晴らしい情景を、五感を開いて感じることで、味覚も拓かれ、酒がより味わい深く感じられ、それがまた、四季の情景を美しく感じさせるのでしょう。
比古清十郎の言葉には続きがあります。
それでも不味いんなら、それは自分自身の何かが、病んでる証拠だ
これも、お酒のみならず、あることですね。心にわだかまりを抱えていたり、不安や心配事や悩みに心が支配されていると、美味しいものも美味しく感じられません。食べる時くらい、そんな心配を忘れて、味覚や食卓の楽しい雰囲気に没頭したいものです。悩んでいる時ほど難しいですが。
さて、その日を思う存分味わう。そうすることで毎日がいい日になる。雨降りの日は「天気が悪い」と表現されるけど、先述のような心持ちでいると、悪い天気なんてない。どんな日もいい日になる。
毎日がいい日——————
森下さんは、そう思った時、コトリと何かにぶつかった。どこかで何度も出会っていた言葉を思い出した。いつも稽古場の長押に掲げられていた言葉
日日是好日
毎回みていたのに、今の今まで見えていなかった。そこで受け取ったメッセージは
人間はどんな日だって楽しむことができる。そして、人間は、そのことに気付く絶好のチャンスの連続の中で生きている。
p219
日日是好日、毎日がいい日。頭で理解することはできる。でも、これを実践できている人は少ない。
日日是好日を実践・実感できるか否かは、結局、自分の在り方次第だ。今、自分が生き方を問うこと。物事の捉え方を問うこと。自らを振り返り、気付くこと。無意識に行なっていたそのスタイルは、自分の意識的な選択によって変えられる。
まずは、自分を振り返って、自分の在り方に気付くこと。気付きがないと、変えようとする意識すら持てない。これはゲシュタルト療法の創始者パールズの言葉。
五感を開き、今ここに息、その日を、一瞬一瞬を思う存分味わう。気付きのレーダーをそこにもっていく。
アドラーの教えで有名な「嫌われる勇気」では、あなたは今すぐにでも幸せになれる、と言います。それは、心の持ち方、物事の捉え方を、変えるだけでいい。
相田みつを も言ってます。
幸せはいつも自分の心が決める
本当に、彼の言う通りです。幸せは自分次第です。
アウシュビッツ強制収容所体験を綴った心理学のフランクルの名著「夜と霧」にこんな場面があります。ある日、いつものように腹をすかして疲れ果てた仕事終わり。夕暮れがとてもとても綺麗だった。そう誰かが言うと、死を感じるような限界状態なのにも関わらず、力を振り絞って、何人もの人が夕暮れを見に外に出たそうです。そのような極限状態であろうとも、美しい夕暮れを見ている瞬間、そこに没頭している瞬間というのは、きっと幸福だったのだろうと思います。
喜多川泰『「また会おう。」と誰もが言った』に出てくるおばちゃんは「今を楽しむの!」と言いました。これも日日是好日につながりますね。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
僕の感動が、伝わったでしょうか?
人間はどんな日だって楽しむことができる!
この捉え方はとても素敵で、是非実践していきたいところですね。そのために、五感を開く。
多くの場合、五感 < 頭(考え) となっており、しかも頭の方に偏りすぎています。今どんな感じですか?どんな風に感じますか? よりも 今何を考えてますか?の方が答えやすい人が多いと思います。
だからこそ、五感で何を感じているか?感情はどうか?内臓感覚としてはどんな感じか?と、いかに感じるか?に焦点を当てていって下さい。
感じる練習をしましょう。という本もあり、普段考え中心の人にとっては、感じる練習ができると思います。例えば、一日デジタルから離れてみる、とか、一日大通りで人間観察をする、とかいう課題があります。
五感を開いて、感じることを大切にしてください。デジタルデトックスしましょう。
ここまで長文、お付き合いいただき、嬉しいです。あなたのよりよく生きるヒントになれば幸いです。
では、また。コメント欄より感想お待ちしています。
追伸
雨が好きだった僕は、「聴雨」という言葉があったことにも感動しました。雨を聴く、という同じような感性の人がいるんだ!という感動です。
雨音の素晴らしさは、繰り返しのない一回性、小雨でも大雨でも心を洗うような心地よいリズムと音の波。
日本語は擬音語が豊富といいますが、雨音一つとっても、しとしと、ぱらぱら、ぽつぽつ、ざあざあ、などいろんな表現ができます。
さらに、雨につけられた名前のなんと多いこと!!!よく聞くものだけでも、五月雨、時雨、秋雨、梅雨、豪雨、小雨、霧雨、狐の嫁入り、俄雨、夕立 etc. 日本語には400語くらい雨の言葉があるそうです。気になる方は「雨の名前」を手に取って下さい。僕も好きな本です。
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自分らしく生きる、自分自身でいることをテーマにブログを書いてます。
自分を押し殺し、他人の価値観や意見ばかり気にする ❝いい子ちゃん❞ だった過去。自分のことが大嫌いでした。
そんな自分をなんとかしたいと心理学を学びプロの心理士として仕事をするも、自分嫌いは克服できずにいました。
そこへ、30代でゲシュタルト療法を受け、人生が180°変わりました。
自分が好きになり、
自分の意見や考えを軸に行動できるようになり、
やりたいことややってみたいことにも素直に食指をのばせるようになりました。
本もたくさん読むようになり、さまざまな考え方を柔軟に取り入れられるようになりました。
同じように悩んだことがある方や、今現在自分の生き方に悩む方へ。
あなたらしく生きる、あなた自身でいるための手掛かりやきっかけがみつかりますように、と僕の経験や学びを発信しています。
誰もが自分らしく生きられる世の中にする。
Ryuについてさらに詳しくは自己紹介を読んでくださいね。(↓ボックスのRyuをクリックすると自己紹介ページへとびます)
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