一期一会の生き方

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一期一会の生き方

こんにちは。Ryuです。

今回は誰もが知っている言葉である『一期一会』。それを生き方に反映するとはどういうことか?

読めば、自分の想いにまっすぐに生きることの大切さを学べると思います。

ちなみに、連載みたいにやっている、森下典子『日日是好日~お茶が教えてくれた15の幸せ~』からの学び第11弾です。

第十一章 別れは必ずやってくること たった9ページの章だけど、大事なことがぎゅっとつまっています。

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父との別れ  今生の別れ

この章では、父との今生の別れのエピソードが語られています。

突然の死だったそうです。

ある日近くに来た父が「寄ろうか?」と電話。友達が来てるからと伝えると「いいよ、また会える」と寄らずに帰った父。

なんとなく胸騒ぎして夜に電話するものの、父はもう床に入り、電話に出た母と他愛のない話をして、週末には実家へ行く、と約束して受話器を置いた。

   

その金曜日。父は突然倒れた。そのまま帰らぬ人に。

「いいよ、いいよ。また会える」が最後に交わした言葉になった。

私は、急いで時間を駆け戻ろうとした。過去に戻れると思っていた。そして、戻れないことを知った。(中略)

人間は、ある日を境に「二度と」会えなくなる時が必ず来るのだ。

森下さんは、こう言葉を紡いだ。

   

当たり前すぎるくらい当たり前のことなのですが、多忙な日常を過ごしていると、忘れがちで、大切なことです。

僕の好きな一青窈さんは、ありがとうとごめんねをちゃんと伝えよう、とどこかで言ってました。

彼女も若くして父を亡くした方です。

一期一会

この言葉を耳にしたことのない人はいないでしょう。

「一生に一度きり」という意味も大方の人は知っていることと思う。

でも、この言葉の意味を深く理解している人は多くない。

理解した上で実践している人はもっと少ない。日常の忙しさにかまけて、僕もそうです。

   

人は、この日常が永遠に続くと信じている。

今日と同じように明日がやってきて、明後日もやってくる。そこにいる人は変わらずにいる。と。

今日会えなくても、また会える。今言えなくても、また伝えればいい。と。

そう思って、伝えたいことを、伝えるべきことを、先延ばしにしてそのまま逝った方がどれほどたくさんいたことか。

  

大方の日常はその通りに来る。

でも、これはいつでも保障されたものではない。むしろ、そのことの奇跡やありがたみを味わった方がいいものだと思う。

   

だからどう生きるか

だからこそ、今一度、毎日をどう生きるかを問い直したい。

その大きなヒントを『日日是好日』は示してくれている。それはこうだ。

 会いたいと思ったら、会わなければいけない。好きな人がいたら、好きだと言わなければいけない。花が咲いたら、祝おう。恋をしたら、溺れよう。嬉しかったら、分かち合おう。

 幸せな時は、その幸せを抱きしめて、百パーセントかみしめる。それがたぶん、人間にできる、あらん限りのことなのだ。

 だから、だいじな人に合えたら、共に食べ、共に生き、だんらんをかみしめる。

 一期一会とは、そういうことなんだ・・・。

p196

僕は胸に刺さった。とてもとても深く。

今ここでの、自分の気持ちを表現し、想いにしたがって行動する。これほどまっすぐなことがあろうか。

もちろん、現実には、時間的・物理的・場所的などさまざまな制約がある。でも、会えなければ電話したり手紙やメールを送ったりすればいい。好きな人にはまず話しかけることから始めてもいいし、ご飯に誘ってみるのもいい。お花見でなくても道端の小さな野花を愛でてもいい。今日一日の喜怒哀楽を誰かに話したり、誰かのなんだかんだを笑いながら聴いてもいい。

こうして、今ここでの自分の想いにまっすぐに向き合うことが、一番後悔しない生き方だろうし、幸せを感じられる生き方かもしれない。(念のために付け加えると、享楽的に生きろって言ってるわけじゃないですよ)

引用の太字部分はこの本『日日是好日』の帯にも記載されている。それほど胸を打つ主張だ。

    

また、森下さんはこの出来事に対して、次のようにも言っている。

 もしも、まえもってわかっていたとしても、人は、本当にそうなるまで、何も心の準備なんかできないのだ。結局は、初めての感情に触れてうろたえ、悲しむことしかできない。そして、そうなって初めて、自分が失ったものは何だったのかに気づくのだ。

 でも、いったい、他のどんな生き方ができるだろう?いつだって、本当にそうなるまで、心の準備なんかできず、そして、あとは時間を駆けて少しずつ、その悲しみに慣れていくしかない人間に・・・。

p195~196

その通りだと思う。だが、これに関してはもう少し付け加えておきたい。

最愛の人の死など、大きな大きなショックや悲哀の経験をした時に、人間はどういう心理プロセスを経ていくのか、についてはよく研究されている。

それは悲嘆のプロセス、グリーフプロセスなどと呼ばれている。身近な人の突然死などの大きな悲しみに出会った時の人間の通常の心理プロセスです。つまり、❝異常事態に対する正常な人間の反応❞です。

  1. 対象喪失(一時的な現実感覚の麻痺状態)
  2. 否認(否認→パニック)
  3. 現実検討(怒りと不当感→敵意と恨み→罪悪感→幻想)
  4. 抑うつ(孤独感と抑うつ→精神的混乱と無関心→諦めと受容)
  5. 再適応(ユーモアと笑いの再発見→立ち直り)

簡単に言えば、うろたえたり、こんなはずはないと否定したりパニック状態になったり、周りには不当に感じられる怒りや恨みを爆発させてぶつけたり、「あの時ああしていれば…」などと自分を責めたり、(死別の場合)故人がまだ生きてるかのように振舞ったり、うつ状態になったりするのは、正常な過程なのです。

知っていたとしても立ち直るためには通らねばならない過程であり、そうして思いっきり悲しんだり怒ったり落ち込んだりすることが立ち直っていくためには必要な過程なのです。※必ずしも全ての過程を通るわけではないですし、順が多少違うこともあります。

大切なのは、当人が各段階を少しずつ消化する必要がある、といういうことです。周りは、その人のペースに合わせて支えながら、このトンネルをくぐり抜けていくしかありません。

ゲシュタルト流に言えば、この過程を経てこそ、悲しみが完結すると言えるかもしれません。悲しめなかったら、その代償は後々高くつきます。

さらに詳しく知りたい方は、たくさんの本が出ているので読んでみて下さい。いくつか紹介しておきます⇓

古典的ですが、グリーフケアは、キュブラーロスのこの名著が原点だと思っています⇓

まとめ

いかがでしたでしょうか?

一期一会の生き方ってつまり、今ここを、自分の気持ちを大切にする生き方に他ならないと思います。同時に、相手も大切にする生き方です。

今回の記事が、あなたがあなたらしく、よりよく生きるヒントになれば幸いです。

ではまた。

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自分らしく生きる、自分自身でいることをテーマにブログを書いてます。

自分を押し殺し、他人の価値観や意見ばかり気にする ❝いい子ちゃん❞ だった過去。自分のことが大嫌いでした。
そんな自分をなんとかしたいと心理学を学びプロの心理士として仕事をするも、自分嫌いは克服できずにいました。

そこへ、30代でゲシュタルト療法を受け、人生が180°変わりました。

自分が好きになり、
自分の意見や考えを軸に行動できるようになり、
やりたいことややってみたいことにも素直に食指をのばせるようになりました。
本もたくさん読むようになり、さまざまな考え方を柔軟に取り入れられるようになりました。

同じように悩んだことがある方や、今現在自分の生き方に悩む方へ。

あなたらしく生きる、あなた自身でいるための手掛かりやきっかけがみつかりますように、と僕の経験や学びを発信しています。
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自分らしく生きる、自分自身でいることをテーマにブログを書いてます。
他人に合わせてばかりで外面がよく、自分のことが嫌いな”いい子ちゃん”だったけど、ゲシュタルト療法を受けて人生が180°変わった心理士です。
自分が好きになり、自分軸でやりたいことに食指をのばせるようになり、学びが習慣化。
同じように自分の在り方や生き方に悩む方へ、あなたらしく生き、あなた自身でいるための手掛かりやきっかけを得られるよう、経験や学びを発信しています。

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コメント

  1. Thanks for sharing your thoughts on 日日是好日.

    Regards